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2008/10/19

原油価格は今後どうなる

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天坊石油連盟会長のお話から

  1.原油価格はこれからどうなるのか
  2.石油業界現状と課題
 について会長の独断と偏見でのお話しとのことです。

 20世紀は石油の時代と言われているが、古くから使われており、古代エジプトで多分、地層に染み出る油でミイラを包んだのではないかと思われる。 イランでは燃える炎を崇める等の記録が残っている。  日本書記にも燃える水が献上されたと記されている。
商業的に使われだしたのは1859年アメリカのペンシルバニアでの油田開発が始まりで、それ以来、アメリカでガソリンエンジンの発明がされるとその燃料として開発が進められ1914年1次大戦で本格的な使用が始まり戦艦、航空機等の使用で戦略的物資となった。  当時日本での石油は80%が米国からの輸入で、世界的な石油資源の囲いこみ争奪戦に加わった。 1941年中国との紛争の中、アメリカは日本への石油の禁輸を行ったので、直ちに戦争への道を歩み、石油確保からスマトラ等南方方面の進出が始まった経緯がある。。
1次エネルギー資源としての石油の占める割合は35%、40億トン~46トンで、石炭の26%、ガス23%をはるかに超えている。   これからも重要なエネルー資源であることには間違いはない。
石油は太古時代のプランクトン有機物が地殻変化で地中に埋没された生成物で、理論的には硬い地質の内部に封じ込められている。 2~3兆バーレルの埋蔵量があるとされている。 そのうちの1兆バーレルは既に使用されている。
1960年以来メジャーが産油国に利権料を支払い供給を受ける形で、戦後の経済成長を成し遂げてきた。
石油確保で産油国が自分たちでコントロールできない不満が募り、国有化傾向になっていった。  オペックを誕生させた産油国5カ国は4次中東戦争では非友好国には禁輸する処置がとり、第1次オイルショックが生じ世界を混乱に導いた。
1979年の第2次オイルショックでは原油価格が13ドルから43ドルまで上昇した。  オペック参加国の供給量は1870年には50%に達し、1983年には原油先物取引が開始された。  
世界の産油国、消費国及びメジャーが一堂に会し情報交換をしたところ中期的石油需要は逼迫し供給が追いつかない予想になった。
資材コストの上昇が原因で、5~6年で需要と供給のバランスが拮抗する予測である。
その対応として産油国は生産を増強し、先進国は技術力を提供し、途上国は節約を進めることである。
原油価格の行方は供給不安から先物価格が上昇し先年は1年で50ドル今年2月100ドルが半年で50ドルも急騰した。
洞爺湖サミットでも討議されたが、その後147ドルから50ドルも急落した。
オペックでは総会を開き実質生産減産を決めた。
大体、110ドル近辺で落ち着くのではないかと予想する。
理由は生産コストが2~3倍に上昇したので、90~100ドルが限度になる。
先進国では消費のコントロールをし、大型車から小型車にシフトが始まっている。  原油価格の上昇は生産コストの上昇に繋がる。
次に「日本の石油情勢」について

石油業界は系列を重視し、価格は月決め方式で進められてきた。
自由化が進むと今度は業者間の転売が始まり販売価格は下がる傾向になる。
国内の需要は減少し輸出が増えると価格は海外価格にリンクするようになる。
1994年当時は70%の石油エネルギーに依存してきたが2030年には42%までに脱石油政策で下がると予想している。
90%もの原油を中東輸入に頼っているわが国にとって今回の原油価格の高騰にたいして、代替エネルギー政策等の提案で食料、エネルギー、環境、エネルギー技術開発問題等に転換を求められている。

質問に答えて
1.緊急時の対応として資源外交、産油国との技術共有等が望まれる。
2.環境税にたいして排出量取引、ガソリン税、取引税で現在5兆円あり新たな環境税は不要である。  市場規制としての総量規制は産業の発達を阻害する。
3.原油価格、今後の見通しについてガソリン卸価格は製造コスト増により昇傾向が続くと思われる。  年内は110~130ドルの範囲で推移すると思われる。


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